
中山間地域とは、山間部と、山間部と平野部が接続するところである中間地域をあわせて指します。つまり「山間」と「中間」を合わせた言葉です。そこは過疎化、高齢化が進んでいるところも多いのですが、1980年代に、この地域が注目される大きな出来事がありました。そして、最近も、また、大きな出来事が起こったのです。
ガット・ウルグアイラウンドによって注目された中山間地域
「中山間地域」は、1980年代後半に農業の分野で普及し始めた言葉で、比較的新しいと言えます。この言葉が普及した背景には、1986年に始まったガット・ウルグアイラウンドがあります。
ご存じの通り、ガット(GATT)は「関税及び貿易に関する一般協定」です。第2次世界大戦後、加盟国間で自由な貿易を推進することを目指し、様々なルールなどを取り決めていきました。
ガット・ウルグアイラウンドでは、自由貿易体制推進の総決算として、農産物をすべて関税化し、その関税を将来的に引き下げていくことなどが決められました。そのため、日本でも農産物輸入が拡大し、国内農業が大きな打撃を受けると考えられました。
そのなかでも、真っ先に衰退していくと考えられたのが、生産コストの高い条件不利地域です。そこは、まさに先ほど言及した中山間地域と重なります。
実は、山林の多い日本では、中山間地域が国土の約7割を占めます。決して、特殊な地域というわけではありません。しかし、農地は狭小だったり、傾斜地であったりして農業の条件としては不利です。
そのような中、中山間地域を支援する気運が高まり、活発な議論がなされます。その結果、1999年の「食料・農業・農村基本法」で、その支援が謳われます。
この法律が従来の農業基本法と大きく異なるのは、食料の安定供給の確保とともに、食料生産以外で農業や農村のもつ役割、いわゆる、農業の多面的機能の発揮が目指されたことです。
その背景には、やはり、ガット・ウルグアイラウンドで、農業保護の削減が求められたことがあります。要は、自国の農産物を国際的な競争から守るような補助金はやめていこう、ということです。
そこで、農業や農村が食料生産以外に担っている役割を重視し、そこを支援していく姿勢をとったわけです。日本では、その具体的な政策として2000年から「中山間地域等直接支払制度」が開始されました。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。