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2022.09.30

小売業を改革するのは、小売業の「ものづくり」!?

小売業を改革するのは、小売業の「ものづくり」!?
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日本では、1960年代から70年代にかけて流通革命が進み、私たちの生活は変わりました。歴史を研究することで、過去に何が起き、それによって何が変わり、いまのあり方も理解する助けになります。歴史の研究は、歴史家のE.H.カーが言うように、過去と現在の対話です。

ダイエーが起こした流通革命とは

戸田 裕美子 日本の流通革命と言えば、ダイエーを思い浮かべる人が、ある年代から上では多いのではないでしょうか。

 ダイエーは、1957年に中内㓛氏が興し、その後、全国展開の総合スーパーマーケットに成長し、1972年には三越を抜いて日本一の売上高を誇り、1980年には小売業として初めて売上高1兆円を達成するほどに発展しました。そのダイエーが起こした流通革命とはどういうものだったのでしょうか。

 戦後、ものづくり大国として発展した日本は、商品流通においてメーカーの影響力が強く、商品価格の主導権はメーカーが握っていました。

 しかし、「安売り王」として名を馳せた中内氏は、商品を可能な限り低価格で販売することが消費者の利益になると考え、徹底的な低価格販売を実現しようと努めました。ところが、それは、小売段階での値崩れを防止するべく流通系列化を推し進めていた家電メーカーや化粧品メーカーとの対立の原因となりました。その中でも、とりわけ、適正価格を維持したい松下電器と、低価格販売を実現したいダイエーとの激しい対立は、ダイエー・松下戦争と呼ばれ、30年にも渡り取引停止が継続したほどの状況となりました。

 まさに1960年代から70年代にかけて、流通革命の旗手として躍進したダイエーが、チェーンオペレーションを構築して、メーカーに対してボリューム販売を武器に強い交渉力をもち、メーカーから価格決定権を奪取して、小売主導型の流通システムの礎を築いた功績は大きいと言えるでしょう。

 流通革命というと、まさに流通システムにおいて、小売業者がメーカーから価格主導権を奪い取ると言う意味合いのパワーゲームの側面だけが強調される傾向がありますが、今一度流通革命という概念の意味に着目してみると、違った側面が見えてきます。

 中内氏の晩年の講演録などをみると、「ダイエーのPB(プライベート・ブランド)は日本におけるM&S(マークス&スペンサー)のSt. Michael(セント・マイケル)である」という発言がよく見られます。

 M&Sとはイギリスの老舗の総合小売店です。実は、1978年から1987年までの9年間、ダイエーはこのM&Sと提携を結び、M&SからPB開発のノウハウを学び、それをダイエーに知識移転しようと試みていたのです。

 中内氏にとって、本当の流通革命とは、メーカーが作った製品の販売価格をめぐる主導権争いではなく、小売業によるPB開発、すなわち、ものづくりである、ということを考えていたのだと思います。流通の革命と言っても、結局のところメーカーが作った製品に依存せざるを得ない状況では、流通の主導権を握ったとは言えません。ですから、小売業による独自商品であるPB開発の実現こそ、真の意味での流通革命であると考えるに至ったのだと思います。まさにそのような、小売主導型の流通システムを英国で確立していたのがM&Sでした。

 M&Sは、ポーランド系ユダヤ人のマイケル・マークスによって、1894年にイギリスのリーズという都市で創業します。1ペニーのみの商品を扱う露天商から始まり、店を大きく発展させます。

 ところが、第一次世界大戦が始まると諸外国のサプライヤーとの取引が途絶えてしまいます。そこで、イギリス国内で生産される商品を中心に取り扱うようになり、それを、StMichaelというPBブランドにしていきます。

 当初はハンカチなどの小物が中心でしたが、第一次世界大戦を経て、第二次世界大戦後には、様々な衣料品や、日用品、食品などを総合的に取り扱い、それらすべてをPBブランドとして販売する総合小売店に発展するのです。M&SのSt. Michaelは、必ずしも低価格を訴求するものではなく、品質の割には低価格であるという「値頃感」を実感させるブランドとして、広く英国の消費者に支持されました。

 一方、ダイエーも1961年にPB第1号の商品となるインスタントコーヒーを発売し、PBには早くから取り組んでいました。しかし、当初のPB開発は、大手メーカーの価格主導権に対抗することを目的とし、同じ商品カテゴリーの類似商品を低価格で販売することを強調したものでした。商品の品質は二の次となり、PBは安かろう、悪かろうというイメージを消費者に定着させるものとなりました。1970年代中盤になると、消費者ニーズも多様化し、価格よりも品質を重視するようになると、ダイエーのPBは限界を迎えるようになりました。そこで、新しいPBのビジネス・モデルを取り入れるために、中内氏が着目したのが品質志向のPB開発に成功したM&Sであったと考えられます。しかし、その提携には紆余曲折がありました。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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